海苔弁当(Wikipedia)
今日食べたのり弁との写真と合わせて、ご覧下さい。
まずこちらが本日食べた「のり弁当」。

まずは下の部分から。ごはんの上に海苔が載っているのですが、その真ん中に実は昆布の佃煮が入っています。

ウィキペディアによれば、それがのり弁の一般的な構成らしい。
弁当箱に米飯を詰め、その上に醤油などで味付けした板海苔を敷き詰めたものが基本的な形式である。さらに米飯を詰めて海苔が内層部に入ったり、米飯と海苔がそれぞれ複数層をなすこともある。また、板海苔を敷く前におかかか昆布の佃煮またはその両方をまぶすことが一般的である。
続けて海苔弁の歴史について書かれています。
海苔弁当が確立した時期は定かではない。構成要素に関して言えば、安土桃山時代に現代と同じ形状の弁当箱が登場し、江戸時代中期に板海苔が作られるようになった。庶民が各海産物を安価に手に入れられるようになってから家庭で広く作られるようになったものと考えられる。阿川弘之は著書において、海苔弁当または弁当箱の代わりに小鉢で製作した同様の食事を「かつぶし飯」として記述しており、他の文筆家も家庭料理の一つとして触れているのが散見される。
それなりに歴史のあるものなんですね・・。もっともっとごく最近のものだと思ったら・・。個人的には1970〜80年代のものだと思ったんですけどねえ・・。
で、次、上の部分。ちくわの天ぷらと魚のフライ。

1960年代に、温かい出来たての持ち帰り弁当を販売する業者として草分け的存在である「ほっかほっか亭」(通称ホカ弁)が、その創業時に、白身魚フライとちくわの天ぷらを乗せた海苔弁当をメニューに加えて好評を得たことで、商品名としても広く知られるようになった。米を除く食材がすべて日本では身近な海産物であり、販売物としても庶民的な存在、すなわち安価な弁当として定着した。
となると、今のスタイルの駅弁(ご飯の上に昆布の佃煮と海苔、ちくわ天と魚フライ)は1960年代からずっと続いているということなんですね・・。
さっき食べたものにあれだけ深い歴史があったとは・・。
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